汝は

「先生ですよね……?」



日常生活を送る上で個々人が呼ばれる呼称はおおよそ3〜5つほどだろうが、この普段よく呼ばれる3〜5つの呼称に該当しない呼ばれ方をするとなるほど人はすっかり膠着状態になってしまうのだなあと。
加えて、声を掛けてきた人物が自分の記憶のどこを探しても覚えが無いとなると人違いの可能性を示唆するのは当然のことであろうが、彼女の名前とかつて自分の家庭教師の教え子であったことを聞くと間違っていたのは自分であったとひどく赤っ恥をかいた。
この短時間に2回も殴られたような気分になってしまった。



決して印象の弱かった生徒というわけではなく、むしろ聞き分けも良く宿題もきちんとやるような、模範的な生徒という点では私の中には強く印象に残っていた生徒であった。
学生時代に家庭教師として務まっていたのはひとえにこういう模範的な生徒のお陰であったのかもしれない。
しかし当時12歳の彼女が記憶そのままに19歳の姿になって私の前に現れたのだから、彼女が誰なのかを認知できないのは仕方がないことのように思える。









銀座に不案内なものの、なんとか手頃なお店に落ち着いてからは私が彼女を忘れていた(認知ができなかった)ことについてひどく詰問をされたが、今はコンタクトレンズ使用の彼女が12歳当時ピンク縁のメタルフレームを掛けていたことと、熊の柄のトレーナーをお気に入りにしていたことを話すと、なんとか許しを得ることができた。
姿形が当時とかけ離れているのでは仕方がない。忘れていたことと認知ができなかったことにはきちんとした隔たりがあり、同じ意味ではない。



7つ年下の異性との雑談が意外にも話題に事欠かなかったのは私が約2年半ほど彼女を生徒として受け持ち、少なくとも授業と休憩時間の間は同じ時間を共有していたからであろう。
でなければどう間を持たせて良いのかわからなくなるくらいに、私も彼女も決してお喋りが上手な方ではなかった。



口下手同士なりにも思い出話は盛り上がった。
お喋りが得ではない彼女なりの親和の証として、つまむだけでぼろぼろと崩れるようなクッキーを焼いてくれたことや部屋がぬいぐるみだらけだったこと、彼女のトレードマークであったピンクの眼鏡の形が真ん丸で少しも垢抜けていなかったことをからかうと「先生はいつも優しかったです」と始まり、私が彼女の部屋のぬいぐるみの手足を持って動かすことでコミュニケーションを図ったことや算数や数学を教えるときにはなるべくわかりやすいよう下手くそなりに一生懸命絵を描いていたこと、今はからかっているようなクッキーの出来も当時はすごく褒めたことを話されてしまい思わず降参をしてしまった。
しばらく会わない間に彼女の方が私より何枚も上手になっていた気がして、その日3度目の殴打を受けた気がした。









家庭教師はその性質上、あまりに個人的なことについては話すことを禁止されていたために当時自分の話をする際はかなり話を選んでいた覚えがあるが、この日は呼称としての「先生」があるだけで今の私は彼女の家庭教師でもなんでもなかったので、可能な限り彼女の質問に答えるようにした。
余談だが、この日私は招待を受けた結婚式に出席をしたために銀座に居た。披露宴で食べた上質な肉や魚や海鮮が普段ビール2杯で限界な私の胃に上質な膜を張ったのか、この日は自分でもびっくりするくらいに飲めた。アルコールも相まってか、聞かれたことはほぼ包み隠さず話していたように思う。(もちろん、彼女は未成年なためソフトドリンク縛りである。)


生徒として受け持っていた時は彼女の容姿に関してはピンクの眼鏡があまりにその存在感を主張していたために私はピンクの眼鏡と話をしているような、ピンクの眼鏡を彼女そのものとして捉えていた節があったが、この日初めてきちんと彼女の顔を見た。
例えば目が大きかったり鼻筋がすごく通っているような主張をするような特徴的なパーツはないものの、バランスの取れた小作りな顔をしていてなるほど綺麗な顔をしていたのだなとその時初めて思ったりもした。














未成年を遅くまで連れ出すのも正直気が引けたので、私は予め22時を勝手にリミットとして決めていた。
22時が迫り会計を済ませようとすると彼女は急いで財布を取り出し、いくら断ろうとも「自分もアルバイトをしているのだから」と私のポケットに無理矢理自分の食い扶持分をねじ込もうとしてきた。
前職で立食パーティーや会食でよく顔を合わせていた女性達には是非とも見習ってもらいたいくらいに、彼女は誇り高い性格をしているのだなあと感心をした。











会計に関してはどうにかして私の顔を立てさせてもらうことを納得してもらい、別れ際に連絡先を聞かれ解散をした。
彼女の姿を見送ってから歩き出すと目を開けているのに目の前が暗転し、急に歩けなくなってしまった。


結婚式用の一張羅姿のまま地べたに腰を下ろし、お会計の際受け取ったレシートでこの日どれだけのアルコールを接種したのかを数えてみる。
ビールが4杯、ハイボールが3杯。
どうやら私はとんでもなく緊張をしていたらしい。2杯で限界なら7杯は致死量である。










この日はもう、千葉までは帰れなかった。