4年

約1年ぶりの更新ですかね。

再び失踪するかもしれませんが、たまには時給換算されないような、もしくはそれに繋がらないような不経済活動にも時間を割いてみたいと思いましたので近況を。








「君達、大学4年間が終わるのは早かったろ。次の4年もきっと早いぞ。」



大学4年次の、履修はしていたものの普段顔を出すことが無かった講義の最終回に気まぐれで出たときの講師の言葉であった。
今年で社会人も4年目だが、この言葉をまだパッと思い出せるくらいに私にとってこの4年間は早かった。
最近人生初の転職したせいもあって今年は一層早く感じそうである。









新卒としての就職活動は、正直周りから大顰蹙を買う程に上々であった。
私が着なれないスーツを来て会社をかけずり回ったのは2月〜4月の2ヶ月間だけで、名前の聞いたことのある同一業界(金融業界)の企業10社程にエントリーをし、ひたすら毎日企業を梯子しながら筆記試験と面接を受け、気がついたら自分には4つの進路があった。
最初の就職先を決めたのも他3つの内定先の倍率が200倍だったのに対し、私の選んだ企業の倍率が800倍であった、ただそれだけの理由で特別な思い入れは何も無かった。



大震災の翌年ということで氷河期とも言われた年だったようだが、少なくとも私には春だった。どんな難関指定されている企業だって面白いように通り、そして蹴った。
思い返すと恥ずかしいが、あの頃の私は全能感に浸りきっていたし、とにかく傲慢だった。











新卒として入社をしてからは今までで一番辛酸を舐めた。
配属先の課にある40あまりの電話を全て1人で3コール以内に出るよう命じられ、やり方もわからない仕事を教えてもらうこともなく毎月他の人の5倍以上の量をこなし、しくじりが見つかり怒鳴られるだけで1日が終わることも多々あった。
勤怠記録に打刻される数字の改ざんを何度も行い、毎日の睡眠時間は1日3時間を切った。



新卒の身の丈に合わないほどに額の大きな給料を先に投げつけられ、実際の身の丈に合う給料分との差額分だけ、私はとにかく痛めつけられた。
毎日が試合の延長戦で、毎日溺れながら会社に通った。
疎遠ながらも一応は入会している同期のグループラインで、毎日深夜に流れてくる報告を見ては誰しもが自分と同じ仕打ちを受けていることに変な安堵を感じ、それを励みに毎朝出社した。









1年経つ頃には日頃の仕事ぶりとラッキーパンチが当たったことから本社から賞を貰えた。2年目で出世をし、なじるような喋り方しかしてこなかった人達がいつの間にか敬語になり、早く帰れるようにもなった。
余裕ができたのである。
この頃には私なりにこの業界、ひいてはこの会社での“しきたり”も、私が受けた理不尽な仕打ちの理由も新たな新卒が入ることで理解ができるようになった。
説明をすると金融業界は商品に形が無いために一社が優れた商品を開発すると強豪他社もすぐにそれを真似ることができる。
商品の新作発表or改定or廃止が年中を通して行われ、例えベテランの社員といえども自分の中にストックされている既存の知識が更地になることもザラなのである。
こうなってくると既存の社員にとって脅威になってくるのが毎年1/800の倍率で入ってくる精鋭達の覚えの良さである。



皆いつも必死で自分よりも弱い者を探していた。
私も鬱憤を晴らすように仕事で示談代行を行うときは必要以上の圧を相手に掛けた。

















仕事が慣れ、心が慣れ、身体が慣れてくると今度は仕事の内容に疑問を持つようになった。
飽和しきったこの業界が前年度以上の利鞘を稼ぐには他社から既存の顧客を奪う他ない。
ホールのアップルパイそれ自体の大きさが変わらないのであれば、他人の分のパイを奪うことで自分の腹を前年度よりも大きくするしかなくなってくる。
私は営業ではなく専門職という括りではあったが専門職の頭の中の知識が会社としての商品そのものだったので、営業に同行し、とにかく強豪他社のパイを食い漁った。
私の食べたパイがかつて誰かのパイであったことも気にせず自分の腹を満たした。
私がパイを食べ過ぎたせいで地方に飛んだ人や名刺の肩書きが変わる人が居ても、会社の中で自分が肩身が狭い思いをしたくない一心でパイを食べ続けた。













パイを食べ続けているうちに、私の渾身は何の付加価値をも生み出していないことに気がついた。
同時に、ひたすらに奪うことで毎月25日に支払われる対価を錬成していることにも疑問を持ち始めた。



別に人の役に立ちたくて仕事をしているわけではない。皆と同じく自分の生活を成り立たせるのが主な理由である。
それでも、私のこの必要以上の渾身は誰かを幸せにしているのだろうか、幼少から積み上げてきた努力や大学にまで進学し卒業したのはこんなことをする為だったのだろうか、こんなことをしている私が一生懸命大切に育ててくれた親の恩に果たして報いているのであろうか。
もう色々と限界だった。
それからは1年掛かりで転職の準備をした。












現在は前の業界とは縁もゆかりも無い業界に身を置いている。
とにかく勉強が必要だけれど、人の生活にきちんと根ざしている業界である。
Twitterでひいこらと言いながらも今のところ毎日楽しく勉強をしているし、この知識がいずれ人の役に立てるとなればモチベーションも前職とは違う。
私は今年26歳なので、4年後は30歳になっている。
生き急いでると笑われてしまうこともあるが、全てが中途半端で何者にもなっていない私でも30歳までには何かになっているか、若しくはその片鱗を自分の中に見つけられたらと思っている。



冒頭に挙げた講師の言葉が意外にも印象に残ってしまったせいか、私はこの先の人生も4年スパンで考えることになりそうである。



次の4年もきっと早い。