7%の真実。



「文章だけではその人の全体の7%しかわからない」

って話、聞いたことありませんか。



例えばこうして書いているブログや普段我々が常用している電子メール、SNS等、文章だけではその人の全体のうち7%しか知ることができないという話、案外有名だったりするのかも。




確かに文章だけではその人の1割も知ることができないのは、私もそう思う。


でもそのたかが「7%」に詰まっている情報量は中々大きいのではないのかなとも。



割合が小さい=大事な情報ではない



とは限らないだろうし。





たかが7%でその人のことをほとんどわからなくても、されどその7%である程度のその人の奥行きが見える部分もあるんじゃないかな。

その人のなんとなくの人となり以外にも言語センス、教養、引き出しの数、アウトプットくらいはパッと思い付く限り見れるのでは。(そこの部分に目が行き、見れるかはまた別の問題として……。)



少なくとも自分がそう思っているから、自分の書いた文章(論文等)に点数を付けられるのがすごく嫌だったりする。
ブログみたいに好き勝手に書けるなら良いけれど、これが点数化されるような方法に落とし込まれると結構参る。

ペケの数だけ自分の色々なものを否定される気分になるんだろうね、勝手に……。







先日SNSで繋がりを持った方々にお会いする機会があり行って参りましたが、感想としては「イメージから大きく外れていなくて安心した……。」という感じ。
他の人もそう思ったんじゃないのかな。


だとしたら我々の普段交換している7%の部分が、例え割合としては少なかろうと重要な情報が詰まっていることになるのではと思ったり。







もちろんだいたいイメージ通りとはいえ、思い描いたイメージに更にプラスアルファが付いた人がほとんど。
私が勝手になんとなく誤解をしていた人も居て申し訳ない気持ちにもなりました。


Twitterなんかは特に自分の偏ったごく一部の部分を切り取って「アカウント」っていう具像に反映させている人も多いだろうから、誤解を受けやすいSNSだったりするのかも。







その7%には決して少なくはない情報量が詰まっているとはいえ、その7%ばかりを注視して盲目にならないように、っていう自分への戒め。
その意味もこめてのこのタイトル。